随分と長い時間、ブログを更新しないまま今に至りました。一度タイミングを逸すると暫く時間を置いてしまいます。とはいえ、そうならざる得ないくらいにバタバタした日々でした。

21日に日本を発つまでの間、大阪にビザを取得に行ったついでに、大学時代からの先輩で強いエネルギーを持っている人にあって刺激を受けてきました。2日に一度は、職場の元同僚たちに呼ばれて送別会を開いてもらったりとか、海に行ったりとか・・・充実した日々でした。

¥27.000で購入して5年間、修理しながら乗ってきた中古の軽自動車(スポーツカー好きの私は、GT-RっぽくGT-軽と冗談で呼んでいたのですが、ある程度元職場でもそう呼ばれていました。)を手放したり、大学時代から10年前後使ってきた家具を大量廃棄したりと否応なしにも、今後生活環境が劇的に代わることを認識せざる得ない日々でした。まっ、愛着のあるものを手放すのはそれなりに寂しいです。

何より意外だったのが、名古屋を離れたくないと感じていることでした。今まで、岡山→神戸→大阪→仙台→名古屋という引っ越し人生でしたが、例えば大学時代の6年間を過ごした仙台は勿論好きなのだが”第2の故郷”とまで思うことはありませんでした。ところが、今回は思いました。それくらい、この5年ちょっとで色々あったってことです。

MBA受験に関してだが、19日までに結果を出してくるはずのUCLAが結果を出してこなかったため、最終的な行き先を持たないままの渡米となってしまいました。あきらめないことを大切にしているため、LA経由で、Texasという航空券を急遽手配し、UCLAに再度Visitをかけることにしました。
20日に見送りということで、母が成田まで送ってくれました。私の家業や資格にとらわれない自由な生き方を承認して下さって、本当に謝しています・・・必ず、結果を出さなければ。
21日、Korean Airlineで、ソウル経由のLA着・・・機内でひたすら寝たおかげで、それほど疲労感もなくLA入りできました。後、あまり好まなかった機内食をしっかり食べた事もあり、10時間overのフライト後も体調は良好です。苦手な事でも無理やり受け入れることで、意外と平気になることがあります。機内食はその最たるものですね。

ホテルに荷物を置きその足でUCLA Andersonを訪問し、waitlist managerにお会いしました。4回目か・・・まさか、4回目があるなんて想像していませんでした。waitlist managerさんには合否の決定権はないことから、これまでvisitの度にadmission officerに合わせてくれと頼んでいたのだが、毎回それはできないとの事でした。
”どうせこれが最後だし、ダメもとでねじ込め!”的な勢いで頼み込むと何と話が通ってしまいadmission officerと話ができました。3分程度の会話の中で、自分の伝えたいことを一通り伝えられました。
「既に360人の定員枠は埋まっているから・・・空きが出たら。貴方の熱意は十分伝わった」とのこと。また、19日までに結果を出すのは白紙となっていたようです。正直、いつまで待てるか聞いてきておいてそれはないな・・・と思いはします。そこまで待たせる必要があるの?って気持ちと、それでも候補として私をkeepしてくれていることへの感謝の気持ちが入り混じります。

相手があってこそのもの・・・今の私にできることはただ、受け入れてさらなる努力をすることだけです。

1月 1st RD waitlist後: 3月末位から結果を出す
4月 2nd RD waitlist後: 4月末位から結果を出す
6月 3rd RD waitlist後: 7月上旬には結果を出す
7月 再度wailist後  : 7月19日を期限設定
7月21日        : 尚もwaitに残すとのこと

7か月間、自分の意識と努力を維持してこれたことは、後々財産になります。言い換えるならこれほど素晴らしい成長のチャンスはありません。
22日 LAから、フェニックス経由で、TexasのAustinに到着。在校生の方々が空港まで迎えに来て下さいました。到着して数日間で否応なしに分かることですが、Texas大学のAustin校は日本においてこそ知名度が低いが、米国では屈指の素晴らしいB-Schoolの一角です。それについては別日にまとめて書きます。

今は、Austinのホテルにて、UCLAの最終結果を待ちながらMcCombsへの入学手続きなどを進めています。
ここまで長引くと思っていなかった受験生活ですが、いずれにせよ後少しで全てが終わります。その後は、LAであれTexasであれ最高の2年間が待っているのですから・・・もう少し、気持ちだけでも戦います。