Business Schoolにおいては、日本でなじみのある講義形式のみでなく、お互いの意見をぶつけ合う授業形式が多く取られます。ところが、この発言するというハードルが想像するより遥かに高いものです。妨げる要素があるとすれば、英語力以上に、失敗を恐れない気持ちです。

何も言わずに黙って聞いているだけも大丈夫です。Participationが要求されるクラスでも、結局のところ卒業はでき、MBAは取得できます。

自分と同じ内容の発言を誰かしたのを聞き取れていないのではないか・・・流れ/論点がずれた意見ではないだろうか・・・低レベルな発言ではないか・・・伝えられる英語を話せるだろうか・・・

のど元に突き刺さるようなプレッシャーを押しのけて、手を挙げて発言した結果、失敗することも当然あります。そして、人前で恥をかくことに近い精神的に嫌な感覚を得ます。それでも、十分に準備ができていなかった授業以外では、無理やりでも発言をするようにしています。

それ故に、納得のいく発言ができた日と、そうでない日とで、1日単位で気持ちにぶれが生じます。発言の直後に、自分の気持ちを切り替えなければならないことを難しく感じる時もあります。

これは、英語が第一言語であるアメリカ人には理解できない勝負感覚でしょう(笑)覚悟を決めて発言するも、静かな聴く側で居続けるのも・・・どちらが良い悪いという話ではなく、性格から来るスタンスの違いというだけです。もともと攻め気が強いだけに、私にとって黙り続ける事は、英語力を言い訳にして逃げている事に等しいと感じます。これから先の1年半、発言をしないで居続けると、楽ですが逃げ癖がつくようでそのほうが怖い(笑)

ところで、前回記載した医療機器開発の授業を履修科目から外すことにしました。理由としては、他のコアの授業のハードさを考慮すると、睡眠時間を削っても全体としての学びの質を保つことができないという結論を得たからです。とは言え、授業の内容自体には強い興味があるため、教授に相談し単位加算はなしで、公聴のみ継続的にさせていただくことにしました。米国のヘルスケアを学ぶために公聴し、友人達が医療機器を作り上げていく過程を観察することに集中します。

また、1科目減らした分、公聴するだけの科目をもう1科目増やすことにしました。Healthcare Technologyという、読んで字のごとくのHotな授業です。元々興味があった授業で、医療機器開発に優先順位をおいたために外すことにしていましたが、私のルーティンに組み入れることにしました。

現実的に無理だから自分への負荷を減らすではなくて、減らしてできる余裕の質に合うタイプの機会を組み入れるだけの話です。

短期間で自分の考え/方向性を修正する事には、価値があります。やらずに判断することと、実際にやった上で修正することでは、価値に違いがあるように思います。私の中では、それは逃げではなく状況判断に定義されます。正確には、”逃げ”として分類されないような考え方を自分の中に持っているということです。これは凄く大切な感覚です。

よくよく考えると、この10年以上常に目指す理想と現実のギャップと向き合っています。とは言え、10年前と変わらないでいる自分と、変わった立ち位置/考え方/価値観とまだ遠く感じる理想的な姿に、この先のあり方を考えさせられます。遠い事は悪い事ではなく、まだ自分にやれることが数多く残っているだけのことです。
自分を信じ切り、言い聞かせ続ける姿勢を失わない・・・、私の出会ってきた本当にトップランナーといえる人達に共通するメンタリティーです。

最近になって、諦めることで得られる別の楽しさを捨てる覚悟を持ちました。この10年間以上ずっと持っていた感覚ですが、それが覚悟になるには時間がかかりました。面白いもので、同じタイミングで親から、「他の全てを捨ててまで挑戦する事を選んだのだから、前だけ見なさい」という内容のアドバイスをもらいました。

私の性格を、よくわかってらっしゃる(笑)

さて、3月に一時帰国した際に、できる限り多くの方に合うためのスケジュールを組んでいかなければ。